2007 -運命-結局ビンセントとはそのまま。その5日後にはカンタスに乗り込み、 日曜日の静かな朝、オーストラリアの西の果て、パースにいた。 やっと着いたバッパー(安宿)では、手違いで予約がとれていないうえ 満室だったので、他を求めて知らない街をウロウロ。 結局ユースホステルに泊まることにした。 が、チェックインは15時。今は10時。 仕方がないので、荷物を預けて街をウロウロ。 小さな街なのであっという間に見終わり ユースに戻って買ってきたご飯食べてもまだ12時。 そうだ、電話をしよう。 パースに行くことを決めたとき、メルボルンにいる友達が パースにいる自分の友達を紹介してくれた。 パブやパースを案内してもらうことになっていた。 彼はずっと家で私の電話を待っていたらしく 一部屋空いているから、落ち着くまでウチに泊まりなよ。 と思いがけないオファーをくれた。 突き抜けるようなパースの青空とは裏腹に 私の気持ちは落ちていて、やっぱり日本に帰ろうかなと思っていた私(早っ) 頼れる人がいるということに、心強さを感じて ありがたくごやっかいになることにした。 早速ユースをキャンセルして、彼の迎えを待つ。 30分、1時間、彼はまだ来ない。 近くの公衆電話まで行こうか迷った。 でも、お互い顔を知らないから行き違いになったら困る。 更に待つと彼はやっとやってきた。 どんな人だろう? だんだん近づいてきた。 ん?あれ? 私の中の今まで持っていたオーストラリア人のイメージは =白人さん でも彼は、アジアのお方だった。 あれー、アジアの人なんだ。 と思いながら、彼の顔の中にどこから来た人なのか探した。 アメリカで多民族国家でいろんな国から来ていた人と話していたから 出身国の話は一つの話題になると思っていた。 でもまったく他国が感じられない。 全く私たち日本人と同じ顔。 「アナタはどこの国出身なの?台湾?」と聞くと 「マレーシアだよ」と言った。 その時の私は、マレーシアが多民族国家だとは知らなかった。 マレーシアはマレー系、インド系、チャイニーズ系が主で 彼はそのチャイニーズ系だそうだ。 彼の名前はロン。 気配りやさんで、心の器の大きい人だった。 私はすぐに彼に打ちとけ、私たちは日を追うごとにいろいろ話した。 私はビンセントのことも少し話していた。 私は彼から連絡がくると思っていることも話した。 彼の家は居心地が良かったので、しばらく滞在していた。 2ヶ月ほど経ったある日、イースターホリデーのとき パースの南へ泊りがけ(遠いので)だけど旅行をしないかと誘われた。 彼は私がパースへ来る半年前に、仕事の関係でパースへ来たばかりで まだあちこち旅行へ行っていないから、一緒に行かないかい?という感じ。 他の友達にも声をかけてくれたが、既に予定アリで結局私たち2人がヒマ人だった。 泊まりだからどうしようかなと思った。 でも、ベッドは別だし、彼は良識のある人だと思っていたので行くことにした。 (つづく) ※後日作成します ジャンル別一覧
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